カメラマンになるには2|アメリカ移住が大きな起点になったのは事実

海外への移住が一つの起点!

アメリカ移住が自分の決断を後押しした!

私の父は教育にはうるさく「写真で食っていきたい」とは高校時代には言えなかったというのが実情でした。有名大学が好きだった父は私にそういうところに行って欲しいと願っていたのです。

私は一浪の末ある国立大学の建築科に入学しましたが、入学当初から私の興味は写真や映画の方に向いていました。厳しい高校生活から放たれた私は父のドイツ製のカメラを持ち歩いてはいろいろと撮影していました。

📷大学3年の時には一夏ホテルでバイトをして憧れのニコンFを買いました。あの時の感激は今でも忘れることはできません。もちろんデジタルであるわけもなく完全なアナログのカメラでした。露出計も付いていないカメラです。

そこで私に一つの計画が生まれました。帰国子女であった私は異常に海外への移住を口にしていました。大学を出たら海外だ、、というのが私のプランだったのです。父も建築であれば留学してもいいと言ってくれていたので、大学の勉強は相当頑張りました。

その甲斐あって、私は大学の建築科を首席で卒業し、アメリカのアイビーリーグのコーネル大学の大学院への入学を勝ち取りました。正直なところ、父の目の届かないところに行けば、また違った人生もあるかなというのが本音でした。

アメリカでは自由を開花!

正直なところ、渡米してからは私の興味はますます写真の方に向いていました。ただ、父が留学費用の大半を出しているという現実だけが私を建築の世界に止めているようなものでした。「とにかくちゃんと大学院だけは出よう」これが私の決めたことでした。ちゃんと大学院は出て学位を取ろうと、、。 厳しい環境の中で私は卒業までに2年かかるところを1年半で終了しました。

全てが終了した時、私は自由を求めるようにカリフォルニアのロサンゼルスに向かいました。安いフォルクスワーゲンを手に入れてアメリカ大陸5000キロを横断したのです。この時の経験と目にしたこの大陸の雄大さと美しさは一生忘れることはできません。

一面銀世界のニューヨーク州のイサカからロスに向かったのは2月。景色は徐々に緑に変化し、そして徐々に砂漠のような景色へと変化しました。カリフォルニアに入る頃の景色はまさに月面を走っているような光景でした。夕日の美しさといったらないですね。本当にこの世のものではないレベルの光でした。

ロスには1週間以内で着きました。1日1000キロ近くを走った計算になります。すごいスピードですね。とにかく情熱がありましたね。若さなんでしょうか。ただただ新天地への情熱が私をロスへと向かわせたのです。

ロスは2月でしたが花の咲き乱れる常夏の世界でした。

 

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