二つの方向性があることに気づく!
⭐️自分がさほど若くなかったというのが自分を追い込んでいった要因であったことは事実です。ただ、この3ヶ月私は心底夢に向かって邁進したという感じでした。つい半年前はロスでインテリアの勉強をしていた自分からは想像すらできないことでした。
毎晩毎晩大きなスタジオに寝泊まりし私は必死で学び必死で撮り続けました。
ある日のことです、いつものように師匠に写真を見せに行くと彼は言いました。「生きたモデルを撮らなきゃだめだよ!」
私がマネキンに服を着せて写真を撮ったことに関してこう言ったのです。まだ働き始めて数ヶ月の私でしたが、私の頑張りを見ていたのでしょう。
週末のある日彼の口利きで、週末にあるエージェンシーからモデルがやってきました。始めてモデル撮影をするにはもったいないほどの美人でした。彼女がメイクなど準備をしている間に撮影の準備をしたわけですが、あの時のことは昨日のことのようにはっきりと覚えています。一度もモデル撮影なんてしたことがないわけです。
学生の頃からこういう撮影に憧れていた自分です。感無量でしたね! 立派なスタジオをフルに活用しながら、土曜の午後目一杯撮影を楽しみました。
⭐️しかし、この時の写真がその後の私の運命を決めました。その時の写真がかなりの上出来だったのでその後の撮影でモデルに困ることはありませんでした。たった数枚の写真が自分の環境を変えたのです。
いい写真が一枚あれば鬼に金棒ですね。それからは機会があるたびにモデル撮影をしたのです。夜の暗室もますます楽しくなりました。寂しくはなかったですね。
ここで短期間でしたが、写真家として一本立ちするには大きく分けて二つの道があることに気づいたのです。
🔴一つは有名な写真家に何年もアシスタントとして働きその技術とコネを利用するということ。
🔴もう一つは作品集を自分で作って、自分で売り込み独立を狙うということです。
⭐️私はどちらのタイプなのでしょうか。アシスタントをしてわかったことなのですが、私には何年もアシスタントをする気にはどうしてもなれませんでした。なぜか師匠と同じレベルの写真が撮れる気がしていたのです。
そこで自分で作品集を作って売り込んでみようと思ったわけです。これがこのニューヨークでどれほど大変なことかというのはその時点では知る由もなかったのですが。
私はそのスタジオで知り合ったある写真家に誘われたのをきっかけに、その大きなスタジオを去ることにしたのです。その写真家のアシスタントとして日中は働き、空いた時間にはひたすら自分の作品を撮るという感じです。
⭐️でも、自信のある作品集ができるまでにはそれから2年ほどもかかったのを覚えています。新しい写真家の元で半年はいたでしょうか、そのあとはフリーでアシスタントをしながら作品集を作り続けたのです。ニューヨークで最低限の生活を維持しながら作品集を作っていくというのは並大抵のことではありません。
当時は全てアナログの時代です。フィルムや現像に多大のお金がかかります。生活は貧乏そのものでしたが、少しのお金をセーブしてフィルム代に当てたのです。
極貧であってもなぜか毎日が楽しかったのを覚えています。私にとっては最高の青春だったのですね。