カメラマンになるには16|イタリアのミラノで修行の日々を開始する

ミラノに到着!

⭐️私が修行の場として選んだのはミラノでした。ニューヨークでヨーロッパに精通している人たちからの情報でミラノが最適だと考えたからです。これが私とミラノとの縁の始まりでした。

ミラノに旅立った時はニューヨークのJFK空港まで友人が何人も送りに来てくれました。みんなもう帰ってこないんじゃないかと思っていたんでしょうね。

修行のための一人旅のはずだったのですが、荷物の多さはちょっと常識を逸していました。機材やストロボまで全て持って行こうとしていたからです。仕事になるかどうかも分からない段階でしたから、軽率といえば軽率です。当時は全てアナログの世界です。今のようにカメラ一つとコンピューターがあれば全てがまかなえるというご時世ではありませんでした。コンピューターもまだまだ一般の家庭には普及していない時代です。

⭐️ミラノについて、友人から聞いていたホテルの名前をタクシーに伝えたのですが、これが間違いの始まりでした。やっと渡航費と宿泊費を捻出したのが自分の経済状態です。安いホテルだとばかり思っていたのですが、運転手がすぐにわかったので違和感を覚えました。

行ってみて分かったのですが、このホテルはミラノでも有数の格式あるホテルでした。私の情報収集に欠陥があったということです。

大変な荷物と一緒だったので、仕方なく2〜3日滞在することにしました。写真などの業界関係者が多数泊まるホテルのようでしたが当時の私には豪華すぎます。結局いろいろな人に聞いてたどり着いたのがお城のそばのホテルブルックセルでした。これはイタリア語でベルギーのブリュッセルを意味します。中心の城に面した瀟洒な建物です。ここで様々な物語を経験することになろうとはその時には全く想像しませんでした。

青春最高の生活!

⭐️このホテルは普通のホテルでしたが、なぜか各国から写真業に携わる様々な人たちが私と同じようにtear sheet(雑誌の印刷物) を手に入れるためにやってきたのです。写真家以外にもモデル、ヘアメイクアップアーチストなどあらゆる人種が集まっていました。

長期滞在者にはかなり割のいいレートをくれたので修行目的の我々のような人種にはもってこいだったのです。

⭐️見知らぬ土地で、一人でやっていかなければならないと思っていた私にとっては全てが不安材料だったのですが、このホテルの生活が人生最高の生活になろうとは想像すらできませんでした。

ミラノをはじめとする、ヨーロッパでの奮闘記をこれから述べていきたいと思います。

 

 

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