人それぞれ違うということを覚えておいてください!
📷私がどうやってカメラマンになったかを知りたい方も多いと思います。ここでは何回かに分けて話してみたいと思いますが、覚えていただきたいのは人それぞれ違うということです。私はこうやって一人前になったからといって、その方法がみなさんに適しているかどうかは別問題です。
みんな生い立ちや生活環境はそれぞれ違います。写真の世界は特に一般の仕事とはかけ離れている部分があります。学校で写真を勉強したからといって必ずしも写真家になれるわけではありません。写真学校は全ての生徒の将来まで面倒を見てくれません。特にフリーのカメラマンとして生計を立てられる存在になれる確率は微々たるものだと思います。
写真家それぞれ様々な経緯があって一本立ちしていると考えてください。私の経験も何かの参考になれば幸いだと思います。
写真を始めたのは大学に入ってから!
📷私が初めて写真に興味を持ったのは小学生の頃でした。なぜか分からないのですが、よく商店街のカメラ屋さんの前でショーウィンドーの中をのぞいていました。そのことは今でもはっきりと覚えています。
当時はカメラを買えるわけもなく、ただただ眺めていただけなのですが、私はなぜかカメラのレンズの中に興味があったのです。陳列されているカメラのレンズを見ていると見たことがないような様々な色がレンズの中に見えたのです。なんとなく紫がかった不思議な色に魅了されたのです。
私が8歳の頃、私は父の仕事の関係でイギリスのロンドンに移りました。そこで父はドイツ製のカメラを購入しいろいろと撮影をしていました。そのカメラのレンズがあの紫がかった色をしていました。カメラは二眼でしたが素晴らしく美しいカメラでした。
当時父はなぜか全ていわゆるスライドで撮っていました。露出計を使って一枚一枚丁寧に撮っていたのを覚えています。父は不器用な方だったので一枚撮るのに大変な時間がかかったのを覚えています。
日本に帰った私は中学受験を控えて受験勉強に明け暮れました。遅れていた日本語や全ての教科を一からやり直しをさせられたのです。塾に家庭教師という生活です。
猛烈な勉強でなんとか中学受験にこぎつけ神戸のとある受験校に合格しました。この学校にはどういうわけか馴染めず、成績も下がる一方。写真どころではなかったですね。これほど受験に苦労するとは思いませんでした。
高校卒業時には受けられる大学もなく、アートにだけは自信があったので芸大を受ける羽目に、、。専門教育を受けたわけでもなく当然のことながら落ちてしまいました。
一浪の末私はとある国立大学にやっと合格しました。
📷校則校則の高校生活からやっと解放された私は自然と写真の方に向いていったのです。専攻は建築だったのですが、どちらかというと写真メインのような大学生活を送りました。全て独学で暗室のやり方を覚え、父のあのドイツ製のカメラをいつも持ち歩いていたのです。
私の専攻は建築だったのですが、思い出はほとんど写真に関することです。卒業が近づくにつれて私の人生の選択が待ち構えていたのです。