カメラマンになるには8|ニューヨークの五番街にスタジオを設立する

いよいよニューヨークにスタジオ設立

⭐️最初に半年ほどアシスタントをした後は大学院にも通いながら、バイトをしながらひたすら自分の作品集を作る毎日でした。

毎回毎回お金を工面して、モデルを調達して、ヘアメイクも手配して、必死で撮影したというのが現実でしょうか。なかなかうまくいかないことも多々あり、それはそれは大変な日々でした。

とにかくお金がなかったので、自分の住むところがないという非常事態も一度、二度ではありませんでした。それでも作品集を作るという情熱だけは誰にも負けませんでしたね。

毎日毎日写真以外にも様々な問題が自分を待ち構えていました。一つ問題が解決すると、また新たな問題が襲ってくるという感じです。

ビザの問題も当然のことながらずっと存在していました。ビザのためにPrattの大学院に在籍していましたが、卒業すれば新たなビザが必要になります。1年間のトレイニングビザは出ますが、その後はなくなってしまいます。住むところもまともにない現状に加えこのような問題にも対処して生きていくしかなかったのです。外国で生きていくということはこういうことです。基本的に生きていく権利がないわけです。労働許可や永住権がないというのはこういうことです。それでも戦っていかなければならないわけです。

⭐️大学院の方も広告デザインが専門だったのですが、先生曰く「君のファッション写真はグラフィックよりもはるかに優れているから写真に集中したらどうですか」と言われました。教授の判断で私のファッション写真を単位として認めてくれたのです。よって、卒業作品も写真に集中することができたのです。

⭐️この期間には様々な人間に会うことができました。業界に入っていくと必ずいろいろな人間に会います。ましてやここはニューヨーク。本当に様々な人間に会うこととなりました。ニューヨークに溶け込んで生きていたとはこういう感じなのでしょうか。初めて自分がニューヨーカーになってきているのを肌で感じる、、そういう毎日でした。

いつもお金はありませんでしたが、毎日が楽しく、ずっとここで生きていきたいと思っていたのを覚えています。

今思えばこれが自分の青春だったのですね。お金がなくても情熱だけで生きていけるという時代が私にもあったと思うと感無量ですね。

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