カメラマンになるには12|死に物狂いの売り込みで緊張度はMAXに

必死の売り込み

⭐️カメラマンである以上これは原則避けて通れないことではないでしょうか。

特にスタートする時は、コネがあれば違いますが、誰かが助けてくれるわけでもありません。自分で仕事を探してくる以外に道はないのです。カメラマンになりたい方はその覚悟が必要ですね。

⭐️私が営業をした時はまだコンピューターやスマホなどがない時代です。私のサイトを見てください、などというわけにもいきません。手法としては電話でアポを取り会いに行くという以外にはないのです。自分の写真がたくさん載ったカードのようなものを送るという手法もありますが、最初の時は仕事の実績もないのでまず無理だと思います。

本人がどういう人間なのかを先方は見たいという現実もあるので行くしかないのです。

私も会いに行った時に覚えてもらえるようにカードを作成し、クライアントのリストを製作しました。やっとスタジオも出来上がり準備万端というところです。

仕事が取れる見込みもありませんでしたが、やる以外になかったのです。

猛烈な勢いで電話をしまくったのを覚えています。

目指すはファッション雑誌!

⭐️当時私が一番興味があったのがファッションです。正直なところこれ以外に興味がなかったというのが本音でしょうか。始めるところなので、もう少し広範囲にやればよかったのでしょうが、若さでしょうか。最初から一番競争の激しい世界に入ったわけです。

以前にも言いましたが、ファッション写真の世界は誰しもが入ってみたいと思う分野です。華やかさがあるからでしょう。それゆえに競争相手は無限に存在します。

⭐️結局のところニューヨークでは数少ないファッション誌に自分の写真を載せられたものが広告の仕事も取ってしまうという現実があるわけです。ファッション誌に入れないのであればやめたほうがいいということですね。大きな仕事は取れないということになになります。これがニューヨークの実情です。

ニューヨークでは結構写真家の立ち位置が分かれています。大きく分けると商品撮影・ファッション・そしてフォトグラフィック イラストレーターと言われる分野です。もちろん完全というわけではないですが、ファッションフォトグラファーは基本的にファッションしかしません。

⭐️ファッション誌は自分からアポを取って売り込むということはまずできません。当時は週のある日に自分のポートフォリオを受付に置いてくるというやり方でした。これは結構屈辱的でしたね。何ヶ月もかかって作った自分の作品集を受付に置いてくるということです。数日経って受け取りに行っても作品集が誰に見られたかも分かりません。見られてないかもしれません。コネがないということはこういう現実が待ち構えているのです。

有名な人のアシスタントをすればこういう点で内部の人間と知り合いになれる可能性もあるわけです。ただ、自分でやると決めた以上こういう方法しかないわけです。持っていける雑誌も日本のようにたくさんあるわけではありません。一流どころは6〜7ぐらいでしょうか。もっとも狭き門なのです。

チャンスをもらった!

私は非常にラッキーだったと言っていいでしょう。こんな味気のない売り込みですが、グラマーという雑誌で奇跡的に反応がありました。ここで小さな写真から仕事をもらうことができたのです。いよいよスタートですね! どれだけ興奮したかはご想像にお任せします。

 

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